アラフォー事務リーマンの雑記

つらつらと思いついたことを書いていきます。

完全敗北!! FXデビュー

 

 

金融の見聞を深めるために、仮想通貨を買って、個別株にも手を出した。

それらに手を出してみると、知らなかった世界が広がって面白い。

 

インデックスがコアということを忘れずに楽しんでいきたい。

 

そして、今日の本題はFXだ。

 

FXも初めてみた。

取引するためにFX会社を選ぶ必要がある。

グーグル検索して、おすすめとして紹介されている「GMOクリック証券」を選んだ。

私は、おすすめには素直だ。

 

 

GMOクリック証券のFX口座に3万円を入れて、いざ始めようとした。

 

・・・資金が足りませんと出てくる。

 

なんで?

 

仕方ないのでYouTubeで使い方の例として紹介されたメキシコペソを買った。

今回は体験することだけが目的なので、2分後に売った。

 

 

5,500円の損失が確定しました!!

 

なんでや!!

何もしてへんやろ!!

 

さて、ここから調べた成果だ。

 

まず、FX会社には最小取引単位というものがある。

(そんなことすら知らずにはじめていた)

最小取引単位に達しなければ、そもそも取引を受け付けていない。

その数字は会社によって違う。

 

例をあげると、A社は100万ドルからしか取引を受け付けないが、B社は3万ドルから取引できる。

そして、GMOクリック証券は1万ドルが最小取引単位。

今の1ドルは、だいたい135円前後。

つまり、135万円なければ取引ができない。

大金だ。

 

ただ実際のところは、135万円がなくても取引ができる。

よく聞く、レバレッジを使うのだ。

FX会社に預け入れた金額の25倍まで取引ができる。

あたりまえだが、利益も損失もその分、跳ね上がる。

 

レバレッジの上限は25倍のため、GMOクリック証券でドルを取引するために必要な金額は、以下になる。

 

135円(ドル円レート) × 1万(最小通貨単位) ÷ 25 = 54,000円

 

54,000円なければ、ドルでの勝負の場にたてないのだ。

 

たったとしても、25倍の最大レバレッジがかかっているリスク最大の状態だ。

初心者がチュートリアルでやるものではない。

 

私はドルで取引できなかったのでペソで行った。

ペソの最小取引単位は10万だ。

1ペソ6.5円前後なので、65万円。

 

 

65万円 ÷ 3万円 = 21.67倍。

およそ22倍もレバレッジがかかっている状態でデビューした。

 

さらにFXには、スプレッドというものがある。

通貨のレートは売買の時、同じではなく、買うときは高くて、売るときは安くなる。

その差がスプレッドという。

FX会社に払う事実上の手数料だ。

 

GMOクリック証券のメキシコペソのスプレッドは0.2銭。

ドルと比べて、割合があきらかに大きい。

 

ドルもメキシコペソと同じく0.2銭だ。

だが、ドルは135円のうちの0.2銭なのに、メキシコペソは6.5円のうちの0.2銭だ。

割合が増えるので、手数料として払う金額も増えてしまう。

 

つまり私は、レバレッジをきかせまくって、スプレッドの割合が高い通貨でいきなりデビューした。

そのため、損をしたということだ。

 

 

以上のことは、5500円の損失が出た後に、調べて知った。

 

 

私が言いたいのは以下の3つだ。

 

初心者が始めたいなら、

①最小取引単位が小さいFX会社を選びましょう。

②スプレッドが小さいドル・円でやりましょう。

③ドル・円の中でもスプレッドが小さい会社を選びましょう。

 

ということで行きついたのが、「SBI FX トレード」。

GMOクリック証券は1万通貨単位、他の会社でも1000通貨が最小取引単位が基本だが、SBI FX トレードは1通貨単位ではじめることができる。

その上、ドル円のスプレッドは、1000ドルまでなら0.09銭と素晴らしい安さだ。

 

ダイレクトマーケティングを行っているようだが、初心者への入門としては、これ以上ない条件なので仕方ない。

 

少なくともいきなり1万ドルからでしかはじめられない会社よりは、よほど入門向きだろう。

 

まさにいま、3倍レバレッジをかけた取引を楽しんでいる。

損失が少なく、精神衛生上良い。

 

 

さて、デビュー戦では、5,500円損しただけになった。

最初からSBI FX トレードで初めていれば、そんな損はせずにすんだ。

 

だが、それは無駄ではない。

上記のことは、自分の懐を痛めたため、本気になって調べたために分かったことだ。

 

最小取引単位とスプレッドには、今後も敏感になるだろう。

この感覚は本を読んだだけでは得られない。

 

 

痛みを伴わない教訓には意義がない。

人は何かの犠牲なしには何も得ることはできないのだから。