アラフォー事務リーマンの雑記

つらつらと思いついたことを書いていきます。

増上寺 巨大なる徳川家の菩提寺

 

神田明神日枝神社赤坂氷川神社にいった翌日、また都内に用事が出来た。

 

午後3時には解散予定になり、時間ができそうだった。

なので、前日に引き続き、東京十社へ行こうと思った。

 

今回選ばれたのは芝大神宮。

 

 

だが、ちょっと待ってほしい。

 

芝大神宮のそばには、とても有名な史跡があるではないか。

 

それが増上寺

徳川将軍家菩提寺だ。

 

立ち寄ったことはあっても、じっくり見たことはない。

いい機会なので、行ってみよう。

 

 

 

 

浜松町駅でおりて、増上寺へ向かう。

 



向かう途中で、道路の上に門がある。

 

これが大門。

かつては、ここに増上寺の総門があった。

 

明治政府によって、増上寺の土地が大量に召し上げられなくなってしまった。

その後、1937年に、かつての1.5倍の大きさで再建された。

 

 

 

道路の上に、古風な門があるのは、なんとも面白い。

 

大門から、少し歩くと、今の入り口が見えてくる。

 

 

 

 

 

三解脱門

1622年に建立。

とても巨大だが、朱と黒が端正に整っていて美しい。

 

むさぼり、いかり、おろかさの三つの毒から離れ、極楽浄土に入る心をつくる門。

釈迦三尊像と16体の羅漢像が二階に安置されている。

 

この三解脱門は2022年10月1日から11月27日までの期間、11年ぶりに一般公開される。

見たい人はぜひ、この機会に見て欲しい。

私も、あらためて行きたいと思う。

 

 

 

三解脱門より境内に入る。

 

増上寺は、もとは真言宗の寺院で「光明寺」といった。

1393年に浄土宗の寺院に改宗して、名前も「増上寺」と改めた。

徳川家康が江戸に移封されたのち、江戸の整備のため、1598年に現在の土地に移転された。

家康の帰依を受け、葬儀は増上寺で行うことが、家康の遺言だった。

 

以来、徳川将軍家菩提寺として、発展を遂げる。

15人の将軍のうち、6人の墓所がある。

 

寺の領地は一万石。

3000人の修行僧が常にいる盛況ぶりだった。

明治政府によって大量の境内地が召し上げられた今でも、とても大きく広い。

 

 

 

 

 

 

大殿

1974年に建立。

わかりやすく巨大。

 

戦災で焼失した本堂を新たなデザインで再建した。

 

中では、中央に釈迦如来像が、両脇に善導像と法然像が飾られている。

 

「法要のため写真撮影はご遠慮ください」とあったので、写真は撮れなかった。

法要をしている様子はなかったので、もしかしたら方便かもしれない。

 

中の釈迦三尊像は、黒を基調とした空間でありながら、仏像や天蓋、さまざまな装飾が黄金に輝いて、非常に豪華絢爛な場所だった。

 

ぜひとも行ってみて欲しい。

 

 

 

大殿から境内を臨む。

 

 

安国殿

 

1974年に大殿が建立されるまでは、仮本堂としていた建物。

老朽化で2011年に建てなおした。

徳川家康の念持仏(個人が礼拝のために身近に安置した仏像)の「黒本尊」を安置。

 

背後には東京タワー。

 

 

 

安国殿の内部はこのように華麗に装飾されている。

極楽浄土の具現化だろうか。

 

 

 

大殿と安国殿を見たので、徳川将軍家墓所に向かう。

 

先ほど述べたとおり、6人の将軍の墓所がある。

二代・秀忠、六代・家宣、七代・家継、九代・家重、十二代・家慶、十四代・家茂だ。

 

世間で有名なのは、戦国と幕末に関わる秀忠と家茂だろうか。

それも見たいが、田沼意次が好きな私としては、家重も外せない。

 

 

墓所に着いた。

 

 

内部はこうなっている。

六代の墓所が並んでいる。

 

もともとは壮麗な霊廟が、それぞれの将軍にあった。

戦前は国宝に指定されていた。

しかし、空襲で燃えてしまい、現在の土地にまとめて改葬された。

 

 

 

秀忠と江の墓。

有名な夫妻。

 

徳川将軍家の墓地も見たので、外に出る。

 

 

大梵鐘

1673年に鋳造された。

東日本では最大級。

 

 

三解脱門のそばには「グラント松」がある。

南北戦争の英雄にして、十八代アメリカ大統領・ユリシーズ・グラントが、1879年に植えた。

 

松は、植えてから140年も経つとこんなに大きくなるのか。

 

 

増上寺徳川将軍家菩提寺としてふさわしい巨大で優美な寺院だ。

興味を持った方はぜひ行ってみてほしい。